2018/06/19

二年にごとに続く個展

ことしは開催の年でDMも出来上がってきた。
スケジュールに終われてはいる。ゆえに忙しい。
このギャラリーでの個展は20年近くなると思う。
Kago3


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2018/06/18

日本海

酒田市からの帰り道、海沿いの道から粟島が見える。
北の海の磯にはこんなユリが咲いていた。
鶴岡市で。
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2018/06/15

あすから酒田市に出張

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久しぶりに行く山形県酒田市。
最上川の河口で日本海の街だ。

陶ボタン作りのワークショップが主になると思うが作品の販売も。
庄内の方のお越しをお待ちしています。

震災の前に清水屋というデパートで個展もしことがありよい街であった。
そのときは帰り道、月山で夏スキーをしたが、今回はその元気はない。


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2018/06/14

中学生が来る

3回目の千葉県浦安市の中学生の受け入れの日。
今年度はこれが最後となる。
最後によい課外授業に協力をさせていただいた。
毎回の陶磁史の話はするが、きょうは朝鮮半島の陶技が、わが国の陶磁器の制作の大きな力をくれたことを中学生たちに理解してもらえるように話をした。
少女達はノートをとりながら聞いてくれた。
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少女達の手は何をつかむのか、
限りない未来をつかもうとする希望の手。

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2018/06/13

さらに森田童子

暗き梅雨の夜は彼女のために。

きょうの東京新聞から。
Douji

風のような森田童子の声が聞ける。
一番元気だった頃だが、この放送の記憶はない。
https://www.youtube.com/watch?v=8pPZlLf5pwc

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2018/06/12

さよなら森田童子

森田童子の死が報道されていた。
おなじ時代を生きた彼女の感性へは深い情愛のようなものがある。
初期の歌には若き日の私の気持そのもののようなところがあり、かなり悲しい。

ちょっと長いが配信記事を。
とても親切で詳細な説明なので彼女のために全文を載せておきたい。


2018年06月12日 11時11分 J-CASTニュース
森田童子さん死去、素顔は謎のまま 「ぼくたちの失敗」大ヒット

「ぼくたちの失敗」の大ヒットで知られるシンガーソングライター、森田童子(もりた・どうじ、本名不明)さんが2018年4月24日に亡くなっていたことが分かった。66歳だった。6月12日、各紙が報じた。日刊スポーツなどによると、日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報に、訃報が掲載された。死因は明らかにされていない。
「高校教師」でブレイク

森田さんは1952年生まれ。友人の死をきっかけに歌い始めたといわれ、75年に「さよならぼくのともだち」でデビュー。全国各地の小さなライブハウスやテント公演などで歌い、学生層など若い世代を中心に、一部で熱狂的な人気を誇った。つぶやくようなトークや透明感のある声が特徴だった。しかし83年、新宿ロフト公演を最後に、時代に背を向けるかのようにひっそりと音楽活動を閉じた。

再びスポットが当たったのは93年、テレビドラマ「高校教師」に作品が使われたのがきっかけ。再発売されたシングル「ぼくたちの失敗」は100万枚に迫るビッグヒットになり、アルバムも再リリースされるなどブレイクした。

森田さんは「夢」や「希望」ではなく、徹底して「絶望」「憂鬱」「不幸」「孤独」を歌った。それが青春に躓いて、時代に取り残され、挫折感を味わうファン層に熱く支持された。

「みんな夢でした」「君と淋しい風になる」「たとえばぼくが死んだら」など暗い曲がほとんどで「淋しい」がキーワード。女性だが、「ぼく」と称し、歌の中では太宰治や高橋和巳なども登場した。「安全カミソリがやさしくぼくの手首を走る」などという歌詞もあった。メジャーになることを目的とせず、カーリーヘアとサングラスがトレードマークで素顔や生い立ち、近況などのプライバシーは謎のままだった。
りりィや藤圭子、カルメン・マキ・・・

森田さんは「高校教師」で脚光を浴びた後も沈黙を続け、マスコミの前には現れなかった。最近では2010年5月、朝日新聞の「うたの旅人」欄で、「ぼくたちの失敗」を担当した保科龍朗記者が、仲介者をたぐって接触を試みたが、「とても親しかった人との唐突な死別とみずからの病で『手紙すら書けないほど憔悴している』」という返答だった。

ただ、依然として一部でカリスマ的な人気があり、16年は最新技術によるリマスターのアルバム全集が発売され、「全曲集」の楽譜も出版された。長年、ジャケット写真しかない歌手といわれていたが、3年ほど前、誰かがネットで大昔のライブの「お宝動画」や、ラジオにゲスト出演したときの貴重なトークを公開し、「森田童子が動いている」「生の声を初めて聴いた」と驚きが広がった。

レコーディングには石川鷹彦さん、木田高介さんら一流アーティストが参加、「さよなら ぼくのともだち」は大森一樹監督の「オレンジロード急行」の挿入歌になり、「高校教師」では脚本家の野島伸司さんが、森田さんの曲にこだわるなど、プロの制作者の側からも高く評価されたシンガーソングライターだった。

早生まれなどの違いはあるが、同学年に「私は泣いています」のりりィ(1952~2016)さん、「圭子の夢は夜ひらく」の藤圭子(1951~2013)さん、「時には母のない子のように」のカルメン・マキ(1951~)さんがいる。アングラ、演歌、フォークなど活動の場は違っていたが、謎めいた半生を背負った個性的な声の女性歌手が輩出した世代だった。

J-CASTニュース

約40年前に忽然と沈黙の彼方に、歌だけ残して闇の中に消えてしまった。
最後に私が聴いた彼女の声は清らかで風のようだった。
高橋基子のNHKFM放送の番組だった。
ネットにあげてくれている人がいた。これは嬉しいし、いつまでもネットの中で生きていて欲しい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm30018106
私はこのラジオ放送を聴いていた。
仕事を始めた駆け出しの頃だ。漠然とした不安を抱えながらの日々だった。
彼女の歌にきずつきながら、彼女の歌にきずを癒しながら聴き続ける。
これは死ぬまで続くと思うのが、初期の頃の歌に私の感性はささやかなバランスを得ている。

カセットテープに録音したのを覚えているがそのテープはどこにもない。

私にとって森田童子は永遠のゲバルト・ローザ

ゲバルト・ローザ。

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2018/06/11

瞽女さは消えた 日本最後のごぜ旅日記

Gozesa

今夜はこの本で瞽女さんのことを想っている。
瞽女さは消えた ー日本最後のごぜ旅日記ー
村田潤三郎著 株式会社新人物往来社 昭和56年2月20日初版

昭和40年から昭和52年で終えた 日本最後の瞽女さんの旅日記。
同郷の著者による哀切と郷愁に満ちた文章に感傷的になるが、豊富な写真と当時の資料の掲載に歴史と衰退の現実が理解できる。
とても貴重な書物だ。
読み進めるほどに私の中に瞽女さんが来る。

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2018/06/09

ヤモリでもイモリでもなく

ゆうぐれのクコの木の枝にカナヘビが休んでいた。
薄暗くなった夕暮れの軒下なので安全を確保している様子だ。
暑い一日で、時折強い南風が吹いていた。
遠い南の海の台風を感じる。
揺れに任せてじっとしているカナヘビ。
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2018/06/08

ヤマアジサイ窯

この時季は「風の窯」の看板をはずして「ヤマアジサイ窯」に。
実生で殖え続けたヤマアジサイの花に埋もれている。
自慢だが装飾花を観賞するようないわゆるアジサイは一株もない。
清楚で優しいヤマアジサイ。
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2018/06/07

さらに今夜も瞽女さんのこと

きょうの東京新聞の下重暁子さんのコラムより。
越後長岡瞽女の小林ハルさんとの交流が載っていた。
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新潟から会津さらには山形県内までが商売圏だったようだ。
彼女もこの時季の旅の途上にはサクランボを口にしたのであろうかと、そんなことを想いながら朱い実を眺めた。
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