« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

2011/03/31

カタクリの花

Imgp7528

やっと3月が終わった。
私には長い時間だった。

花に慰められている。

| | コメント (0)

2011/03/30

記憶の彼方から

私がかなり若い頃「フランシーヌの場合」というタイトルだったか反戦歌があった。
3月30日パリの晴れた空の下で、、、こんな歌詞から始まる。
今も人権問題には発言を続けている新谷のり子さんが歌っていた。
毎年きょうは彼女のことを想う日なのだが今年はことさら彼女が恋しい。
今ふたたび反原発の闘いをこの状況から起こさなければならない。
3月30日この空の下から。
Dsci0029


| | コメント (0)

2011/03/29

海の近くへ

朝は寒く、今朝も氷がはり、屋根は霜で真っ白だった。
乾燥中の粘土には氷がはりひび割れができていた。
北の海辺の被災地の人々のためにも早く暖かい陽気に戻って欲しい。
Dsci0023

午後はずいぶん暖かくなった。
海の近くの旅館に委託販売をしてもらっている。破損品と返品の貰い受けに行く。
今回の震災ではそこも被災して、破損もあり、もう少し落ち着いた頃にふたたびということだった。
こうも余震が続くと陶磁器の管理は気苦労も多く負担になることだと思う。
震災後にはこのような作業が仕事としてでてきた。
売るべき場所が徐々に少なくなり、生業として成り立たなくなるのではないか、そんな不安にかられる。

帰り道の近くの砂浜には漁船がうちあげられていた。
先日の津波が原因らしいがこんな船が何艘か浜にはあった。
報道によると海岸沿いは北からの海流があり、鹿嶋市辺りの砂浜までは津波で罹災した家屋や船舶の漂着物が大量に打ち上げられている。
この浜辺も見渡すと漂着物が多い。
Dsci0027

| | コメント (0)

2011/03/28

花の便り

東京でソメイヨシノの開花が報道されていた。
九段で気象庁の標準木に 2~3輪の花が開いたのだろう。
かなり遅いようだ。
3月は寒い日が続いた。
突然家の前で工事が始まった。
すっかり忘れていたが光ケーブルの引込み線の工事。
予定では15日に接続であったが、大地震できょうになったようだ。
しかし、これも庭までパソコンまでの接続工事は4月末から5月になるそうだ。
これらの木々が新芽で覆われた頃に。
Dsci0021


| | コメント (0)

2011/03/27

花の春にもう少し

Imgp7526
いつまでも寒い日が続いています。
今朝は霜が降り、氷が張っていた。
晴れてはいたが寒い昼間だった。
そんな日が続くのでハクモクレンは咲く時期を失いはしないかと心配している。
まだ蕾。

Imgp7523
遅咲きの花だが、今年はさらに遅い。

Imgp7522
ヤブツバキは満開で花の着きが多く、いつもの年よりずいぶん赤みの強い花となっている。

| | コメント (0)

2011/03/26

放射性物質での汚染

Imgp7511
ここのところのお湿りで春のシイタケが出てきた。
よく洗えば放射性物質は除けるらしいが食べるにはこの情勢、神経質になる。
23日には水道水から基準値を超えた放射性物質が検出された当地だ。
私などは老い先短いが若い人には食べて欲しくない。
東電や政府の情報に不信と不安を感じるのは私だけであろうか。
電気料金の値上げが報道されていた。
壊滅的な天災に東日本は襲われて、そのうえ原発事故を引き起こした電力会社が被災者と被害者に更なる負担を求める。
これは、私の平常心の範囲を超えている。
当地の多くの人は震災にうちのめされ、さらには原発から漏れつづける放射性物質の不安に悩まされている。
私にはこの企業の姿勢は許せるものではない。
競合する電力会社等あるはずはないが、あればとっくに見切っている。

生存のための情報

チェルノブイリへのかけはし

ハイロアクション 福島原発40年

東京電力

福島県庁

茨城県庁

上記のサイトを読まれる方に、地域や社会的立場、思想信条の違いは当然あり、それは尊重してあえて申し上げたい。
被害を受け、また受ける可能性のある人が必要な細やかな情報と知識はハイロアクション福島原発40年が詳細でわかりやすい。

| | コメント (0)

2011/03/25

大地震から半月

地震以来、空を見るのが恐ろしい。
青空も雲も、雨の日も空は見たくない。
夜になり雨が降り始めた。雪になるかもしれない。
今までだと、早い桜の咲く頃、まだウメが。
私の庭では、ウメが咲き始め、ハクモクレンも蕾が固く小さい。
暖かい春はいつになったらくるのか。
北の海辺の被災者を想う。

地震で動いた窯を元のところに戻し、配管の点検とガス漏れを点検。
業者が二人で2トン弱の窯を動かし1時間で作業は終えた。
これで窯は焚ける。
取引のある銀行が緊急支援の低利の融資の案内を持ってきた。
義捐金でないので据え置き期間後は返済ということになり、その力はもうない。

商工会と観光協会から被害状況の調査の依頼があった。
それらにはおなじ融資の案内があった。
零細企業者の困難さと深刻さは他人事ではない。

私のところに調査はなかったが茨城県工業技術センターの同業者の震災の調査が地元の報道機関に発表されていた。
被害の遇った人の中で30パーセントが再建が困難と報じられていた。
さらには販売店が困難だと当然のように私も困窮してしまう。

春はそこまで。
庭の片隅にシュンランが咲いていた。
Dsci0019


| | コメント (0)

2011/03/24

クリスマスローズ

Imgp7512
何事もないように祈りの花。

| | コメント (0)

2011/03/23

窓辺は物干し

Imgp7508
スギ花粉と放射性物質から避けるために洗濯物は室内に。
カーテン替わりになってしまった。

本県の今をもって断水は83000世帯だそうだ。
少しずつだが回復傾向にあるようだ。
しかし、通水しても原発事故が原因とみられる放射性物質が飲料水含まれていると喜べない複雑な気持ちになるのが当然だ。
それが、現実のものとなってきた。


| | コメント (0)

2011/03/22

雨が降る

Dsci0010
雨はきょうも。
寒い昼間だった。
終日皿造り。大きな余震が来ても倒れる心配のない安定した形態の皿。
これも震災への防備。先日の経験は生かしたい。
早朝所用での出かけ先では大木にめいっぱいの花を着けたウメが雨の中にあった。
その後ろには先日の地震で屋根の天辺が破壊された家がある。
高みから街を見ると青いシートの屋根が連なっている。
この雨は早く上って欲しいが明け方は雪になるとの予報が出ている。

| | コメント (0)

2011/03/21

雨の春分の日

被災者に必要な情報
上記のサイトはGoogleが提供している。
支援や援助を求める上に必要な情報が細かく適切に分類されている。

今回漏れている放射能は健康に影響ない範囲ということがいわれているが、この雨は浴びないほうがいい。
雨も降り拡散した放射能の数値は今までよりは高めのようだ。

三連休であったが街の中の陶器販売店は展示品の破損が多く、店内は空き部屋のようになり電気も消えて閉店中の店ばかりになってしまった。
ふたたび陶器の街に灯りがつくのか、厳しい日々が続くことは間違いない。


緊急支援バスが昨日(3月20日)より運行されている。
地震後当地への電車は不通で復旧の見通しはたっていない。

笠間市役所から東京秋葉原までの一日4往復。
片道の料金は1800円。

笠間市役所発    7:25  8:25 14:25   15:25
秋葉原駅着    9:15    10:15   16:15   17:15

秋葉原駅発   11:00 12:00 18:20 19:20
笠間市役所着   12:50  13:50  20:10  21:10

| | コメント (0)

2011/03/20

ネコヤナギの花

Imgp7505
銀色の毛からこんな花に変わった。
花は黄色で小さいのが無数についている。
小川があるとその縁にはネコヤナギががたくさん生えていた。
そしてその小川にはメダカが泳いでいた。
小学生唱歌の情景そのものだが懐かしい。
今、そんな景色はあるのだろうか。
小川は岸をコンクリートで固められて、邪魔な木は刈り払われて水の流れは良すぎて、メダカが泳げる水溜りはない。
春彼岸の頃になると想う景色。


| | コメント (0)

2011/03/18

被災後の対策のための情報

手短で手早い正確な情報は被災地で生き延びるのには絶対に必要なものだと思う。
限られた状況の中で長々とホームページを読んでいる余裕はない。
電話が通じない震災ではインターネットは強い救援の道具となっている。

茨城県県庁(防災・危機管理情報)http://www.pref.ibaraki.jp/
                     県内各地の放射能の測定値が分ります。

首相官邸(災害情報) http://twitter.com/Kantei_Saigai

厚生労働省 http://twitter.com/MHLWitter

文部科学省 http://twitter.com/mextjapan

総務省消防庁 http://twitter.com/FDMA_JAPAN

地震速報(気象庁) http://twitter.com/earthquake_jp

気象庁 http://twitter.com/tenkijp

NHKニュース http://twitter.com/nhk_news

東大病院 放射線治療チーム http://twitter.com/team_nakagawa

夕月、満月の寒い夜。
Dsci0009


| | コメント (0)

2011/03/17

状況を乗り越えて陶炎祭

Dsci0003
大地震直後で、状況は非常に悪い。
屋内の会場が使えなくなり、寒い屋外での開催となった。
例年の予定ではブースの場所を決めたりする重要な全体会議。
しかし今年は実行委員と主催者が開催の決意表明とお互いの無事の確認で終わった。

Dsci0004
日常生活の足は確実に自転車になった。
ただ、この大気にさらされるのは花粉と放射能も浴びることにはなる。

昼も夜も地震が続いている。
その揺れのせいか、車酔いのような感じで気分が悪く、胃も痛い。


| | コメント (0)

2011/03/16

うちつづく余震のなかで

Dsci0002
昼過ぎ水戸市にて。
その時にも震度5弱の地震があり、私は延々と続くこの車列の中にいた。
ほかでもなくガソリンを買うために。
当地方はガソリンと灯油は売り切れたガソリンスタンドが多く、やっと探し当てた給油可能なスタンドは6時間待って満タンにすることができた。
極力、車を使わないように工夫しているが、電車がまだ不通なので仕事や通勤には車しかない。
往復40キロを通勤する娘の専用車の給油を引き受けたが2時間は覚悟していた。
結局6時間を待つことになってしまった。
地方生活でガソリンがないということは生活に深刻な影響がでてくる。

可能な限り自転車で。
埃まみれの自転車2台を清掃してパンクの修理もした。

| | コメント (2)

2011/03/15

壊れてゆく原子力発電所

当地ではガソリンが手に入らなくなった。
最後の一目盛りを残して車は動かさずに自転車で用を足している。

2011年3月15日(火)13時26分配信 時事通信 
 15日午前5時50分ごろ、福島県境の茨城県北茨城市の市役所にあるモニタリングポストで、通常時の約110倍に当たる1時間当たり5.575マイクロシーベルトの放射線量を測定した。茨城県は、約80キロ離れた福島第1原発から放射性物質が飛来した可能性が高いとみている。
 福島地方気象台によると、福島県内では同日午前6時から正午にかけ、風速3~4メートルの主に北北東からの風が観測された。
 茨城県によると、同ポストの通常値は毎時約0.05マイクロシーベルト。同5.575マイクロシーベルトは、1回の胸部X線検査で浴びる放射線量の10分の1程度という。同11時時点では同1.26マイクロシーベルトとなった。同市は市民に「人体に影響のない値の範囲内なので問題はない」と呼び掛けている。
 福島第1原発では同日午前6時14分に2号機で爆発音がし、放射能を封じ込める原子炉格納容器の一部が損傷した可能性があるとみられているが、同5.575マイクロシーベルト測定はこれより前の時刻だったため、県は、2号機の爆発音と直接の関連はないとみている。 


飛散した放射能は確実に北東風にのり当地へも来ている。。
人体への影響のない範囲だと強調されているが、すでに関東地方では各地で観測されているのが現実だ。
これから雨の予報が出ている。


2011年3月12日(日)晴 東日本大地震の記憶
青空で、暖かい朝だった。
昨夜は、間断なく続く余震でほとんど眠れなかった。
思わず起き上がるほどの大きな揺れが何度かに一度はある。
余震の恐怖がよく理解できた。

朝ごはん。
水加減を思い出し、火加減を見ながらご飯を炊き上げた。
Dsci0046

Imgp7473
後片付けで終わりました。
気持ちの萎える作業です。
Imgp7496

2011年3月13日(日)晴 東日本大地震の記憶
水は井戸のふたを開けてバケツをロープで吊りさげ、汲み上げた。
Dsci0049

ライフライン
電気は地震発生時~13日10時ぐらいまでは停電。
電話とインターネットは停電中は不通。
ガスはポロパンなので使うことができた。
水は井戸を使い充分に使うことができた。
2晩は風呂に入れずローソクでの生活だったが、家族間の会話が多くなり、早寝早起きだった。
しかし余震が間断なくあり眠れなかった。
地震は突然だったが食料は冷蔵庫と買い置きのものでまにあった。
外食はほとんどすることはなく、毎日二人分の弁当を作っているのでその分があったので不自由はしなかった。
灯油は買い置きでで充分であったが、この状態がさらに続くと厳しくなる。
ストーブも芯にライターで点火する旧式のものを普段使っていたので役に立った。
便所はそのつど汲み置きの水を水洗便器の水槽に入れて使った。
しかし、停電となってコンプレッサーでの空気の供給ができない浄化槽は悪臭が排水には出始めていた。
これは限界に近いものだった。

これから復旧が始まり、さらに険しい日常になるかもしれないので今回の経験を家族で精査して生き延びる智恵としたい。


 

| | コメント (0)

2011/03/14

東日本大地震の記録

私は300坪の借地に住まいと工房を持っている。
12日の朝、地主がなくなった。
仕事をはじめた頃からお世話になった方で両親より身近での付き合いは長い。
高齢で自宅での闘病中だった。
震災後、痛みを訴えだし・病院も被災直後で停電の中で本人や家族の苦闘と不安感を思うと胸に迫るものがある。
葬儀も停電と断水で稼動できない火葬場の順番待ちや葬儀会社の都合で通夜はなく、19日が告別式の予定だが
急遽始まった計画停電で変更が余儀なくされるかもしれない。
私たちは手伝いの人員になっているが、予定の立たない冠婚葬祭は仕事や他の予定もそのためにあけておかなければならない。震災の影響が暮らしを押しつぶしてきます。

2011年3月11日(金)の記憶
住まいの中はこんな状態でした。
Dsci0029

Dsci0032

Dsci0034

地震と同時に停電となったので夕方まで車の中でラジオを聴いていました。
信じられない大地震であったことが少しずつ解かってくるが地元の情報は聞けない。
電気が止まると私の家の電話機は使えない。
繰り返される大きな余震を警戒しながらこの部屋は夜を過ごせるように片付けました。
そして、懐中電灯とラジオを確保した。
明るいうちに井戸のふたを開け水を汲み家に運んだ。
50年前の徳島での少年時代を思い出した。
そして、夕食を作り信号も消えた真っ暗の中を帰ってきた家人を迎えローソクの下で食べた。
Dsci0041

間断なく続く余震にほとんど眠ることはできない。
電池の残量を気にしながらのラジオが本当に役に立った。
Dsci0043


| | コメント (0)

2011/03/13

東日本大地震に被災

「風の窯」は今回の地震の被災者となりました。
11日14時46分。
当地は震度6強の地震に襲われた。
「風の窯」は家族全員生きながらえました。

2時間待って20リットルのガソリンを入れて昼過ぎに帰宅すると電気がきていた。
井戸ポンプが動くので水汲みからも解放された。
そして、電話とインターネットが使えるようになリ、ライフラインは回復した。

2011年3月11日(金) 14時46分 うす曇り
Imgp7447
3月11日14時46分の強烈な地震の直後。
満開のスギからは花粉が振動のたびに舞い上がり周りは黄色い幕がかかったようになった。
直後、物音のしない静寂に包まれた。
しばらくして、おびえたようなイヌの鳴き声を聞いた。

その時、私は必要な本を選ぶべく本棚の下でいた。
横揺れが始まったが、続いている三陸沖地震の軽いものかと思っていたが、異様に長引き段々強くなる振動に反射的に庭に飛び出した。
来るであろう強烈な余震におびえつつシャッターを押し続けた。
直後から強烈な余震は何度もきたが15時15分頃だったかそれが激烈だった。
倒壊するものがあればこれが駄目押しのようなもので、確実に破壊の力を実感させられた。

Imgp7485
庭には亀裂。

Imgp7489
瓦が落ちてきた。というより飛んできた。

Dsci0066
少し落ち着いたので工房の中を見る。このときに大きな余震があった。
Imgp7474
一段取り残しておいた棚板は窯の中を動き回っていた。
窯詰めを天井までされた状態ではないので損傷は炉壁のこすり疵ほど。
しかし、高温で窯焚中だと非常に危険な事態となっていたと思う。
これは幸運だった。
激震にさらされた窯は北東方向に6センチほど移動していた。
2トンからのものを動かしてしまう力には息を呑んでしまう。
元に押し戻して、配管の修理が必要なのでこれは業者に頼むしかない。
私にはかなりの痛手です。

強い余震が続き、さらには計画停電が実施されれば窯を焚けない。
ガス窯だが燃料のブタンガスを温める機械に電気が必要になる。

Dsci0067


| | コメント (4)

2011/03/10

ホトケノザ

晴れて陽射しは強いが気温は低い。
終日仕事場ではストーブが必要だった。
晴れて乾燥して風が吹くのでスギ花粉の飛散が多い。
車庫の屋根の下でも車には黄色いスギ花粉に覆われてる。
花粉の飛散の激しい年という予報は見事に的中した。

昨日から何度も長い揺れのある地震に見舞われている。
震源は三陸沖で遠いので揺れは小さいがこころの底に不安が霧のように広がる。

そんな中、日当りのよい斜面ではホトケノザが咲いていた。
シソ科の植物は仲間が多く、この花は春早い時期に咲き、繁殖は旺盛でよく見かける。
冬を越した畑の雑草として扱われることが多い。
しかし、ルーペなどで覗いてみると花は美しく、独特の赤色に春が実感できる。
Dsci0022


| | コメント (0)

2011/03/09

消えない雪

Dsci0027
昼間は暖かいのに庭の片隅には白い斑点のように残る。
今夜は春雷のようだ。
雨も降っているが明朝はかなり冷え込むような予報が出ている。
この雪を見ていると雪国の人が籾殻の黒い灰をまき消雪の作業をして田圃の準備をしていた光景を思い出す。

| | コメント (0)

2011/03/08

馥郁たる香り漂う

Dsci0016
たまたま所用で通り合わせた道端には満開の大きな梅の木があった。
花は雪と寒気で傷みが目だつ。
梅の花の観賞は寒い時期、一輪二輪と咲き始めが好きだ。
桜と違い花の咲く時期は長い。
もう、ひと月以上見ているように思う。
その間には雪が降り、寒波が来て、そして春一番も吹いた。

Dsci0020
日当りのいい梅の根元はオオイヌノフグリの花で覆われていた。

| | コメント (0)

2011/03/07

雪の道

Dsci0013
この道が私の棲息場所続く道。
朝9時頃から激しい雪が降り始め夕方まで雪降り。
私は狭い部屋にこもり終日青色申告書の作成となった。
明日には完成させて提出したい。
不況そのものの集計結果だった。

| | コメント (0)

2011/03/06

デジカメ Polaroid t1235

Poradoido

Dsci0005

Dsci0007

突然、限りなくただに近い値段で購入できる機会があった。
わがブロバイダーのniftyストァからだが、頑固に利用し続けていることへの感謝価格かもしれない。
値段が値段なのでどんなものか不安だが、カメラ好きの私には使ってみる価値はある。
そして、ポラロイドなんていうのもいいかもしれない。
初期設定もそこそこに写したのがこの2枚。
よく写るのに嬉しくなった。
操作が、タッチパネル式で初めてのものだ。
細かい操作は従来のボタン式でじゅうぶんだが。
しかし、おもちゃのようで頼りない。
軽量で簡易さをうまく使いたいとも思う。
わがホームページはしばらくこれでのアップです。
さて風の窯の情景はいかに。


| | コメント (0)

2011/03/05

日本の野鳥 羽根図鑑

Photo
暖かい陽射しが降り注いだ一日。
終日ロクロ場での仕事だった。
しかし、明るい陽射しと暖かさに、午後は外に出てうろうろする時間が持てた。
きょうは一羽の野鳥の姿をも見かけなかった。
冬から、こんなことは珍しいことではないが、数年前に比べると異常のように思う。
だから、羽根の落し物はない。
しかしこの時勢、鳥インフルエンザの蔓延で野鳥が感染元ということとなり、厄介者になってしまった。
この本では、野鳥のそれぞれの羽根がすべて細かかい手描きで、眺めているだけで楽しい。
本当に美しい図鑑。
高価で分厚い本なので野外での実用書ではないが、林で拾ってきた羽根の持ち主をこの書物で捜すのもいい遊びです。

羽根は重要な生活道具でもあった。
羽ペン
箒やはたき、埃取り
防寒衣類
矢の風きり
装飾品

| | コメント (2)

2011/03/03

ひなまつり

Imgp7430
寒い桃の節句。
真冬が帰ってきたような日だったが、暗くなるのが遅くなり春を感じる。
その薄明かりに白い顔がうつくしい。
ぼんぼりの灯の下ではこのようなものであったのか。


| | コメント (0)

2011/03/02

3月2日の空

Imgp7426
急激に冬型の気象配置となりつつある。
強い噴出しに大きな雲が西の空から流されてくる。青空が東の方。
暖かい日が続いたのでこの冷え込みは堪える。
強い風に遠くの山の中腹ではスギ花粉が埃のように舞い上がっていた。
放置されて、手入れも行き届いてないスギの樹は早く伐採して欲しい。
不気味にも花芽があざやになり、赤みを増した樹の多さに目が眩む。

| | コメント (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »