さらにセイタカアワダチソウ
昨夜からどうしても記憶を辿りたいことがあった。
十朱幸代が歌ったセイタカアワダチソウの歌詞の一小節が何度も迫る。
「わたしには沖縄遠すぎる」
私にはあの遠い日は、切なく悲しい。
遠藤周作の若き日の作品「沈黙」を読んでいる。
なぜ、今この作品を私は読むのだろうか。
○偶然、当時に出版されたきれいな本が手許にあった。どうしてここに?
これが理由の一番。
○純文学と言っても何のことだとか、それがどうしたというのが昨今の風潮だとは思う。
しかし、純愛と純文学は私には永遠で不滅の世界。
なぜなら、それは純度の高い想像力の世界そのものだから。
それをわからない人にはそのままでいい。
○二十歳の日々、マルクスやバクーニンの著作を読んで激しい政治闘争に明け暮れる私に
「この本はすごいよ」と 部屋においていった女性がいた。
復帰前の沖縄から勉学のため上京されていた方だった。
私はその人からたくさんのことを教えてもらった。
いつ逢っても、荒々しい私の話を彼女は静かに聞いてくれた。
私の価値観の根源的なものはその人のこころが大きく変えたと思う。
40年の歳月を経て再び「沈黙」を読み続ける。































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