さらにセイタカアワダチソウ
昨夜からどうしても記憶を辿りたいことがあった。
十朱幸代が歌ったセイタカアワダチソウの歌詞の一小節が何度も迫る。
「わたしには沖縄遠すぎる」
私にはあの遠い日は、切なく悲しい。
遠藤周作の若き日の作品「沈黙」を読んでいる。
なぜ、今この作品を私は読むのだろうか。
○偶然、当時に出版されたきれいな本が手許にあった。どうしてここに?
これが理由の一番。
○純文学と言っても何のことだとか、それがどうしたというのが昨今の風潮だとは思う。
しかし、純愛と純文学は私には永遠で不滅の世界。
なぜなら、それは純度の高い想像力の世界そのものだから。
それをわからない人にはそのままでいい。
○二十歳の日々、マルクスやバクーニンの著作を読んで激しい政治闘争に明け暮れる私に
「この本はすごいよ」と 部屋においていった女性がいた。
復帰前の沖縄から勉学のため上京されていた方だった。
私はその人からたくさんのことを教えてもらった。
いつ逢っても、荒々しい私の話を彼女は静かに聞いてくれた。
私の価値観の根源的なものはその人のこころが大きく変えたと思う。
40年の歳月を経て再び「沈黙」を読み続ける。
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コメント
北 杜夫逝去が「沈黙」というか遠藤を呼び起こしたとも・・・
幼児洗礼のクリスチャンでしたが、ボクは15歳から何度も読み返しておりました。
心に問いかける手法は、ハードボイルドでもありまするなぁ。
大兄と匠でお会いできず残念です。
投稿: binn | 2011/10/31 23:21
binnさん
クリスチャンでしたか。
幼児洗礼という運命であったのですね。
遠藤周作は澁澤龍彦とはまったく違う地平に立っていると思いますが、サド文学の研究者でもありました。
投稿: 風 | 2011/11/04 18:38