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2018年6月

2018/06/30

梅雨明け

ことしは昨日、関東地方の梅雨明けが気象庁から発表されていた。
異様な短い梅雨。渇水が心配なってくる。

確かに朝から暑く夏空だった。
これから気の遠くなるような夏の日が続く。
夏が好きな私ではあるが持て余しそうな夏。
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2018/06/29

さらにギロチン社

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きょうの東京新聞の記事から。
この記事を読んでいてこの新聞社はとてもよい記事を配信していると思う。

自由に生きる権利はすべての人に平等にあるということが共通の認識として読みたい。

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2018/06/28

約60年前の記録

母の遺品から出てきた一葉。
セピア色というのか懐かしい色のモノクロプリントで過ぎた時間を感じた。
裏には蒼いインクで昭和34年1月という書き込みがある。
60年近く前、私には母と当時同僚だった美しい女性しか判らない。
母が和裁を教えて、もうひとりの方が洋裁を職業訓練か花嫁修業か知らないが教えていた。
それも町役場の管理下にある青年学校と呼んでいた記憶がある。
徳島県の山間地域だが人はたくさんいたのだ。
昭和の40年近くなると人が消えるように都市部に職を求めていなくなってしまった。
昭和41年には閉校になり母は失職して、遍路宿を本格的に前進させたようだ。
Haha

まだまだふるさとで、若い人がにぎやかに家族とともに暮らしていた時代の記録のために。

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2018/06/27

真夏のような一日

強い南風が吹いていた。
風のあるのは救いだが気温は30℃を超えていた。
カミキリムシたちの夏の営み。
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2018/06/25

父と母の法事

きょうは朝から真夏空で陽射しがきつく暑い。

23日土曜日に父3回忌と母7回忌の法要を無事に終えた。
関西に住む妹達と弟を迎えてのことで亡き父母へはお互いの健康に感謝の報告のような集まり方だった。
天気が心配だったが雨にはならずに墓参りも終えた。
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その後栃木県塩原温泉に移動して献杯の儀となった。
一泊後の山は快晴で新緑の山の稜線が美しかった。
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那須を足を伸ばしての帰り道、立ち寄った殺生石の手前の賽の河原のような荒涼とした風景の中にたくさんのお地蔵様が並んでいた。
強い硫黄臭が漂い、ずいぶん昔行った恐山の光景を思い出した。
幸せにも遠くにハルゼミの鳴き声を聞くことができた。
異界からの声なのか、小さな昆虫の営みなのだが、お地蔵さんの中に分け入るとそれは間違いなく父母の声にもなった。
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2018/06/22

梅雨の晴れ間には

久しぶりに気持のよい初夏のこもれびが感じられた朝。
昼間も気温はずいぶんあがっていたが風もあり気持のよい空気だった北関東。
朝は昨夜の夢のようなシャラノキの花が落ちていた。
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スモモの実にも太陽が降りそそぐ、これで少し糖度が増すのではないか。
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2018/06/21

夏至の日に

これから日が短くなるのはさびしい。
いつまでも続く夕映えが好きだ。
わが庭の夏至の花チタケザシが咲き始めた。
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スモモが大豊作。
摘果などせず生り放題なので実は小さい。
そのまま食べてもいいが過熟成したのを豚肉とともに油いため。
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2018/06/19

二年ごとに続けた個展

ことしは開催の年でDMも出来上がってきた。
スケジュールに終われてはいる。ゆえに忙しい。
このギャラリーでの個展は20年近くなると思う。
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2018/06/18

日本海

酒田市からの帰り道、海沿いの道から粟島が見える。
北の海の磯にはこんなユリが咲いていた。
鶴岡市で。
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2018/06/15

あすから酒田市に出張

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久しぶりに行く山形県酒田市。
最上川の河口で日本海の街だ。

陶ボタン作りのワークショップが主になると思うが作品の販売も。
庄内の方のお越しをお待ちしています。

震災の前に清水屋というデパートで個展もしことがありよい街であった。
そのときは帰り道、月山で夏スキーをしたが、今回はその元気はない。


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2018/06/14

中学生が来る

3回目の千葉県浦安市の中学生の受け入れの日。
今年度はこれが最後となる。
最後によい課外授業に協力をさせていただいた。
毎回の陶磁史の話はするが、きょうは朝鮮半島の陶技が、わが国の陶磁器の制作の大きな力をくれたことを中学生たちに理解してもらえるように話をした。
少女達はノートをとりながら聞いてくれた。
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少女達の手は何をつかむのか、
限りない未来をつかもうとする希望の手。

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2018/06/13

さらに森田童子

暗き梅雨の夜は彼女のために。

きょうの東京新聞から。
Douji

風のような森田童子の声が聞ける。
一番元気だった頃だが、この放送の記憶はない。
https://www.youtube.com/watch?v=8pPZlLf5pwc

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2018/06/12

さよなら森田童子

森田童子の死が報道されていた。
おなじ時代を生きた彼女の感性へは深い情愛のようなものがある。
初期の歌には若き日の私の気持そのもののようなところがあり、かなり悲しい。

ちょっと長いが配信記事を。
とても親切で詳細な説明なので彼女のために全文を載せておきたい。


2018年06月12日 11時11分 J-CASTニュース
森田童子さん死去、素顔は謎のまま 「ぼくたちの失敗」大ヒット

「ぼくたちの失敗」の大ヒットで知られるシンガーソングライター、森田童子(もりた・どうじ、本名不明)さんが2018年4月24日に亡くなっていたことが分かった。66歳だった。6月12日、各紙が報じた。日刊スポーツなどによると、日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報に、訃報が掲載された。死因は明らかにされていない。
「高校教師」でブレイク

森田さんは1952年生まれ。友人の死をきっかけに歌い始めたといわれ、75年に「さよならぼくのともだち」でデビュー。全国各地の小さなライブハウスやテント公演などで歌い、学生層など若い世代を中心に、一部で熱狂的な人気を誇った。つぶやくようなトークや透明感のある声が特徴だった。しかし83年、新宿ロフト公演を最後に、時代に背を向けるかのようにひっそりと音楽活動を閉じた。

再びスポットが当たったのは93年、テレビドラマ「高校教師」に作品が使われたのがきっかけ。再発売されたシングル「ぼくたちの失敗」は100万枚に迫るビッグヒットになり、アルバムも再リリースされるなどブレイクした。

森田さんは「夢」や「希望」ではなく、徹底して「絶望」「憂鬱」「不幸」「孤独」を歌った。それが青春に躓いて、時代に取り残され、挫折感を味わうファン層に熱く支持された。

「みんな夢でした」「君と淋しい風になる」「たとえばぼくが死んだら」など暗い曲がほとんどで「淋しい」がキーワード。女性だが、「ぼく」と称し、歌の中では太宰治や高橋和巳なども登場した。「安全カミソリがやさしくぼくの手首を走る」などという歌詞もあった。メジャーになることを目的とせず、カーリーヘアとサングラスがトレードマークで素顔や生い立ち、近況などのプライバシーは謎のままだった。
りりィや藤圭子、カルメン・マキ・・・

森田さんは「高校教師」で脚光を浴びた後も沈黙を続け、マスコミの前には現れなかった。最近では2010年5月、朝日新聞の「うたの旅人」欄で、「ぼくたちの失敗」を担当した保科龍朗記者が、仲介者をたぐって接触を試みたが、「とても親しかった人との唐突な死別とみずからの病で『手紙すら書けないほど憔悴している』」という返答だった。

ただ、依然として一部でカリスマ的な人気があり、16年は最新技術によるリマスターのアルバム全集が発売され、「全曲集」の楽譜も出版された。長年、ジャケット写真しかない歌手といわれていたが、3年ほど前、誰かがネットで大昔のライブの「お宝動画」や、ラジオにゲスト出演したときの貴重なトークを公開し、「森田童子が動いている」「生の声を初めて聴いた」と驚きが広がった。

レコーディングには石川鷹彦さん、木田高介さんら一流アーティストが参加、「さよなら ぼくのともだち」は大森一樹監督の「オレンジロード急行」の挿入歌になり、「高校教師」では脚本家の野島伸司さんが、森田さんの曲にこだわるなど、プロの制作者の側からも高く評価されたシンガーソングライターだった。

早生まれなどの違いはあるが、同学年に「私は泣いています」のりりィ(1952~2016)さん、「圭子の夢は夜ひらく」の藤圭子(1951~2013)さん、「時には母のない子のように」のカルメン・マキ(1951~)さんがいる。アングラ、演歌、フォークなど活動の場は違っていたが、謎めいた半生を背負った個性的な声の女性歌手が輩出した世代だった。

J-CASTニュース

約40年前に忽然と沈黙の彼方に、歌だけ残して闇の中に消えてしまった。
最後に私が聴いた彼女の声は清らかで風のようだった。
高橋基子のNHKFM放送の番組だった。
ネットにあげてくれている人がいた。これは嬉しいし、いつまでもネットの中で生きていて欲しい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm30018106
私はこのラジオ放送を聴いていた。
仕事を始めた駆け出しの頃だ。漠然とした不安を抱えながらの日々だった。
彼女の歌にきずつきながら、彼女の歌にきずを癒しながら聴き続ける。
これは死ぬまで続くと思うのが、初期の頃の歌に私の感性はささやかなバランスを得ている。

カセットテープに録音したのを覚えているがそのテープはどこにもない。

私にとって森田童子は永遠のゲバルト・ローザ

ゲバルト・ローザ。

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2018/06/11

瞽女さは消えた 日本最後のごぜ旅日記

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今夜はこの本で瞽女さんのことを想っている。
瞽女さは消えた ー日本最後のごぜ旅日記ー
村田潤三郎著 株式会社新人物往来社 昭和56年2月20日初版

昭和40年から昭和52年で終えた 日本最後の瞽女さんの旅日記。
同郷の著者による哀切と郷愁に満ちた文章に感傷的になるが、豊富な写真と当時の資料の掲載に歴史と衰退の現実が理解できる。
とても貴重な書物だ。
読み進めるほどに私の中に瞽女さんが来る。

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2018/06/09

ヤモリでもイモリでもなく

ゆうぐれのクコの木の枝にカナヘビが休んでいた。
薄暗くなった夕暮れの軒下なので安全を確保している様子だ。
暑い一日で、時折強い南風が吹いていた。
遠い南の海の台風を感じる。
揺れに任せてじっとしているカナヘビ。
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2018/06/08

ヤマアジサイ窯

この時季は「風の窯」の看板をはずして「ヤマアジサイ窯」に。
実生で殖え続けたヤマアジサイの花に埋もれている。
自慢だが装飾花を観賞するようないわゆるアジサイは一株もない。
清楚で優しいヤマアジサイ。
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2018/06/07

さらに今夜も瞽女さんのこと

きょうの東京新聞の下重暁子さんのコラムより。
越後長岡瞽女の小林ハルさんとの交流が載っていた。
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新潟から会津さらには山形県内までが商売圏だったようだ。
彼女もこの時季の旅の途上にはサクランボを口にしたのであろうかと、そんなことを想いながら朱い実を眺めた。
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2018/06/06

盲目の旅芸人 瞽女(ごぜ)

本日の東京新聞の記事に 瞽女さんの話が載っていた。
このコラムを書いた下重暁子さんは私が中学生の頃に、夜の7時のNHKニュースのアナウンサーで美しい方だったのを覚えている。
その方が小林ハルさんを取材して書かれたエッセーの紹介とともに生前の小林ハルさんのことにも触れていたので興味深く読んだ。。
この欄は1970年前後の社会風俗が克明に語られていて、あの時代を肯定的に見つめていることが感じられていらい、毎朝愉しみに最初に読んでいる記事だ。
Goze
1900年(明治33年)新潟県三条市で出生
生後100日で失明
5才 瞽女の親方に弟子入り
9才 初の旅回り
昭和48年に福祉施設に入所するまで瞽女として生きた

1978年(昭和53年)記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として認定
2001年(平成13年)三条市名誉市民
2002年(平成14年)吉川英治文化賞受賞
2005年4月25日 盲養護施設胎内やすらぎの家にて永眠105才

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わが蔵書にはこんな本もある。
2001年2月3日初版  株式会社求龍堂刊
小林ハルさん存命の時に若い気鋭の女性ルポライターが執筆されたものだ。

瞽女さん達の唄を聴いた人もいなくなり、私のように記録や書物の中でしか会えなくなってしまった。
もう新たに彼女達の本や文献が出るとは思えないので、以前に出版されたものなど手に入りそうなものは集めたいと思っている。
ただ、下重暁子さんの「鋼の女」は未読なので読みたいと思いネットで探したが、とても高価な古書価格がついていた。

人のこころの中でしか開演されない滅びた放浪芸への憧れが私にはつよくある。

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2018/06/04

五月晴

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こんな天気を五月晴というのだろうか。
旧暦だと端午の節句はだいぶ先で、4月22日。
空気は乾き終日快晴で日陰は涼しい。
窯出し、荷造り発送の仕事で終えた。

朝、満開のノイバラにはたくさんのハチが吸蜜に来て、低い唸り声のような羽音が聞こえる。
ミツバチのささやき。

夕陽が落ちてゆく。
日が一番長い頃で、いつまでも暗くならない。一番好きな季節。

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2018/06/02

キョウカノコの咲く庭

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ふわふわとなんだか頼りない。
6月の晴れた日にはよい花だ。
バラ科シモツケ属という分類だがキョウカノコもシモツケも大きな違いはないようでよく分からないが、これはどちらでもよく、チタケザシが白色よく似た花なので、この時季はふわふわした花が咲く頃。

夕方5時に窯に火を入れた。
今夜は本焼。辰砂釉の抹茶盌が多めに入っているので、気を引き締めて窯を焚く。
この花のようなふわっとした紅釉もいいなと思う。
だが今夜の窯焚きで出したのは鮮やかで透明感のある紅。

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2018/06/01

ジュウヤクの咲く庭で

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とても繁殖力旺盛な野草だ。
八重の花と一重の花がそれぞれにまとまり一群れとなり風に揺れている。
適当に成長のころあいに刈り取らないと、これらが庭を覆い尽くしてしまいそうだ。今夏もそんな勢いだ。
薬草なのだが利用することは今はもうない。
葉をてんぷらにして食用にする利用もあるが、どこかで食べたがそれきりだ。


花は清潔でナイチンゲールのイメージがある。

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