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2019/08/02

暑さに負けず

記録的な猛暑の予報なので朝は早起きをして6時から素焼き素地の窯を出した。

窯場はエアコンなどはないので涼しいうちの仕事が夏の習慣だが、終えると全身汗だく。

ほんまに暑い夏になった。

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永山則夫のことを想う。きのうは彼の命日だった。

それはワルシャワ武装蜂起の日にも重なる。時代は違うが、私には圧政下の人民の生きる権利への闘争と理解できる。

きょうの内海信彦先生のFBは読み応えのあるものだった。

暑いが一気に読んでしまった。

以下先生の記事より。

死刑執行命令を出した法務大臣山下貴司は、死刑囚が残忍な犯罪を犯したと言いましたが、死刑執行は、国家権力の残忍な殺人です。死刑制度廃止、死刑執行は国家権力の殺人という圧倒的な世界の普遍に背く日本国家は、ますます孤立を深めました。死刑制度は、天皇制にともなう残忍な装置です。韓国への宣戦布告の前段階に等しい禁輸措置決定の日に、死刑執行とは。

太田昌国さんより今朝(8月2日)、死刑の執行があった。庄子幸一さん、鈴木泰徳さんのふたりが処刑された。庄子さんは、2005年以来行なわれている「死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金」主催の死刑囚表現展への常連応募者だった。響野湾子というペンネームで、毎年、数限りない短歌/俳句作品を送られてきた。墨で、目を見張るような筆使いの方だった。

 ふたりの女性を殺めた自らの行為を深く悔いているものの、報道でも判決でも一顧だにされない事実に向き合い、自己批評的に捉える作品に心打たれた。

眠剤に頼りて寝るを自笑せり我が贖罪の怪しかりけり

痛みなくばひと日たりとも生きられぬ壁に頭を打ちて耐えをり

 作品にはよく、寺山修司、陽水、中島みゆき、レノン、ゲバラなどへの言及があった。どんな人生を送られた方だろう? 及ばずながら、空想した。

 8月初めは、哀しい記憶に満たされることになった。22年前の1997年8月1日には、永山則夫氏が処刑された。氏を追憶する集いは、1週間前の7月27日に行なわれたばかりだ。第16回目の「ペルーの働く子どもたちへ」である。 1996年12月にペルーのリマで起きた日本大使公邸占拠・人質事件を、永山氏は東京拘置所の死刑囚独房で、購読していた朝日新聞を通して知った。日本人の人質の安否一色に埋め尽くされた連日の紙面の中にあって、一度か二度、この事件が起きたペルー社会の背景を伝えようとしたのか、リマの路上で働くこどもたちについての記事が載った。

 パン屋、花屋、レンガ屋などで働く子どもたちが協働しつつ、家計も助けている姿があった。永山氏はおそらくそれを読んだ。同じ子ども時代、ひとり孤立して働き、生活し、協働できる相手を持たぬまま「犯罪」に走った自分の過去の姿を、ペルーの路上の子どもたちと重ねた。執行の直前、「印税は、世界の貧しい子どもたちへ、とりわけペルーの……」という「遺言」を遺したのは、そのせいだろう。その遺志を受け継ぐ集いである。

 以下は、昨年2018年の死刑囚表現展をめぐる私の講評である。響野湾子さんの作品に関しても触れている。哀悼の気持ちを込めて、再掲したい。

ここまで。

添付されていた「現代企画室」のページ

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