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2020/07/28

辻まことのことを

笠間・九条の会の会報への原稿の依頼に応じて書いた。数年前父の戦争とその後の私たち家族の関りを投稿した。私のこころに影を落とす人たちのことを見据えることは自分のこころの在りようを見極めることにもなることだとも思う。

以下はその原稿。

 

闇夜の水先案内人

 私は海の日を迎えるごとに年を重ねる。コロナ禍に地球規模で苦しむ現在の状況は昨年の夏には想像もつかないことだった。私も仕事と日常生活には相当な負担と不条理さへのストレスがある。そこから、きょうと同じようなあすがあるとは考えないことにした。一寸先は闇というのが生きものとしての人間の真の姿だと実感できた。そこで、闇の中への歩みだす勇気のよりどころは、経験という時間の記憶と、知的な想像力が不安を和らげてくれるものかもしれない。

 そんなことを思いながらの時、いわき市立草野心平記念文学館に行く機会を得た。高名な詩人で教科書でも習った。膨大な仕事の中に私が知りたく確かめたいのは、彼が主宰した同人誌「歴程」に集まる人々のこと、彼なくしては世に出なかった宮沢賢治との関り、本人が営んでいた居酒屋の顛末。この三点だが展示の説明は詳細でありがたかった。居酒屋は当時を再現したもので、改めて生活力の逞しさと文学者としての奥行きの深さに惹かれた。

 私は展示品の一枚の写真の前で動けなくなってしまった。満員の居酒屋でギターを抱えた辻まことを見つけた。昭和三十年ころ、草野心平の経営する「火の車」での情景だ。私は二十歳のころに「アルプ」という文芸誌で彼のエッセーにであい、毎号読み、そこで知った辻まことの著作を読み続けた。

 辻まこと(1913~1975)は自由人にて高等遊民という言葉は彼のためにある。画家、エッセーイスト、登山にイワナ釣りに狩猟、さらにはスキーの達人。ギタリストでシャンソンも唄った。学歴などはない。父親が日本初のダダイスト辻潤、母は伊藤野枝。

 彼の著書で初めて買った書籍は「虫類図譜」できれいな造本の画文集だった。切れ味のいい批評と皮肉で満たされている。今でも開くことがある。その他にもたくさんの山や自然のエッセーが続いた。「歴程」での文筆家としても読みごたえのある短編が多くある。その中に書かれている所を、若い私は彼の姿を求めて歩いた。

終戦直前に徴兵されて終戦から三年も捕虜となり帰還している。作品はそんな経歴よりもっと深いところでの絶望感がみえて凄みのなかに清明さがあり、興味が尽きない。

 若いころは金鉱石を探して東北や上信越の山々を歩き回っていた。生涯の山旅はこの延長であろうか。復員後、今でいうとイラストレーターから始まり、多忙な作家になってゆくが、アウトドアーの達人としては、その経験をもとにして自著に書かれている。つまりやることがすべて仕事となっているので、そのバランスは理想的な生き方だと思う。

 辻まことの運命というべき出自と作品の話は、長くなるので別の稿にして、自由人辻まことを画家として文筆家として受け入れた社会のことを少し考えたい。

 母親である伊藤野枝は関東大震災の直後に憲兵隊により虐殺されている。日露戦争で戦勝国となり、朝鮮併合をした大日本帝国が軍事国家としてアジア各地への侵略に踏み出しつつあるころで、それに異議を唱える社会主義者や無政府主義者の弾圧に大震災直後の混乱時を利用した卑劣な犯罪行為だ。豪雨に大地震、火山の噴火さらには蔓延する感染症と続く現在、一つの歴史的な経験として忘れてはならないことだと思う。

 彼が権威の極北で絵を描き、文を書いた時代は戦後民主主義の揺籃期でもあった。憲法において戦争放棄、基本的人権の尊重、表現の自由などが明記されて、私はそれの下に教育を受けた。私は学習したことに忠実に生きているつもりだ。ただ、とても息苦しさを感じる。それは、基本的に侵されてはならない憲法すら権力に解釈変更されて揺籃期の健全な理想が死に瀕しているとしか思えないことが起きているからだ。

 行きたい山に行き、書きたいことを書いた辻まこと。その人が私の水先案内人。

 余談、辻まことの墓は福島県双葉郡川内村「長福寺」にある。大きなモミの木の下にあり石集めが好きな草野心平が見つけた自然石で、墓碑銘も彼の筆になる。川内村は原発事故にて全村民避難を余儀なくされたところでもある。

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