よい天気の6月1日
あすには接近中の大きな台風の影響下に入りそうだ。
椎名林檎がテレビで流れていたので聴いていた。
きのうの嵐もどこかへ行き朝から快晴で気持ちの良い日。工房から空を見る。そして、フランスギクも咲いている。
あすは父と母の法事をするので墓の掃除に行ってきた。
花も供えて準備は完了。
午後は3時から水戸市で開催された「前橋汀子無伴奏ヴァイオリンリサイタル」に行く。
20年ぶりにお会いできた。バッハ弾きの彼女は素晴らしい。彼女が演奏する「バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の全曲が聴きたくなった。きょうのプログラムの最後の演奏だったパルティータ第2番ニ短調は圧巻だった。
赤いドレスの彼女は美しすぎる。その姿にケシの花の化身を見てしまった。頽廃の魔性と生きるための癒しが彼女の演奏にはある。死後の世界はこのようなものかと想いながら聴いていた。
わがサクラの先達が自ら編集した近場の桜型録をいただいた。
先日のイベントの初日に届けてくれた。しばらくサクラの話であったが、彼のイチョウの古木巨木探索に私の興味は尽きずに話し込んだ。
花春が愉しみで待ち遠しい。
先達は私のサクラ観賞の師でもある『茨城一本桜番付 平成春場所』常磐百景PROJECT 主宰 坂野秀司さん。
彼の膨大な資料から選りすぐりのサクラの花案内で丁寧親切な内容に感謝したい。
彼と私を引き合わせたのは大震災後に消えたヤマザクラの古木で巨木。その幻の花はこちらに。
その陽気に誘われてきょうは骨休めの日とした。
春から続けた栃木県の道の駅巡り。
2店舗が残った栃木県の道の駅に行く。関東平野から那須の山まで25ヵ所あり春から野菜購入と風土と食文化の探索に折をみて出かけた。
そのためには、とてもよい施設だ。
近県でもあり、日帰りでゆける距離ではあるが、長距離の移動の車の運転でも苦痛にはならない。
それ以上に好奇心がある。
そしてきょうは残っていた2店に行き、道中双六的にいうとあがりとなった。
全部回れば栃木の食生活が少し見えるかと思ったのが発端でそんな思いでは満願成就ということだ。
ひとつに県ではあるが食材をつぶさに見てさらにそれを食べてみて、その風土の多様で奥の深いものを深く感じた。
これで上がり。
源流から50キロばかりの里川という小さな川沿いには6ヵ所に水力発電所がある。
茨城県常陸太田市の案内から。
水源を里川町に発し、堅磐町で久慈川と合流する河川。全長は約50kmで、上流域は里美地区、中流域は日立市、下流域は太田地区を経由しており、変化に富んだ環境を創出しています。
流れが狭く、大きな河原は発達しづらいものの、その美しい眺望は多くの観光客を魅了しています。
特に中流域の河岸段丘や渓谷は見事。幕末の頃は鮎の名所としても知られており、郡奉行の下役として太田地方を巡回していた加藤寛斎は「里川ノ鮎ハ首ヲ小サク、肉味スグレテヨシ」とし、「鮎ハ当国ニテハ里川ヲ第一ノ佳作トス」と絶賛していました。
また、水戸藩では里川産の鮎を最上の物として幕府に献上していたといいます。
明治時代には町屋発電所や中里発電所といった水力発電所が建設されるなど、地域の電力資源の開発にも役立てられていました。これらは、豊かな自然とそれを存分に活用した人々の英知や努力の賜物と言えるでしょう。
下流から遡り4か所を巡った。
旧町屋変電所(町屋発電所遺稿)
レンガ造りでとてもいい景観だ。この施設は発電の役目は終わり地域の集会所のように使われている。
庭にはモミジとイチョウの大木があり、午後の陽の中にまぶしかった。若い母親が子どもを遊ばせていた。
この発電所に行くにはたわわに実ったリンゴ畑の中を行く。
あと2発電所は福島県との県境近くできょうはここまで夕暮れとなり帰路を急いだ。また後日の愉しみ。
100年稼働しているのにはすごいことだと思う。そして、3本の線で送電線に繋がれていた。
大きなダムも作らずにこんな小さな川で延々と電気を供給し続けられることに、新鮮な希望のようなものを見た。
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