2024年1月
2024/01/27
2024/01/26
2024/01/24
2024/01/23
2024/01/22
2024/01/21
日光国立公園菅沼キャンプ村の古いパンフレット
朝から強い雨の日曜日。雪にならずに一安心だが予定していた庭の手入れができないのでわが書斎の清掃を思い切って行うことにした。乱雑にまさに足の踏み場もないほどに置かれた書籍と資料などを廃棄と保存に振り分けて進めた。それから棚に内容のラベルを作り分類して並べた。
山にまつわる書籍も多くその間に50年以上も前のパンフレットがあった。21歳の時これに記載されている尾瀬・大清水キャンプ村にて夏季40日間ほどアルバイト管理人をしていた。尾瀬や奥鬼怒の山々にも近い場所で、敬愛する辻まこと先生の足跡も追っていた。お客さんの少ないキャンプ場なので山歩きが仕事のような日々だった。また近くには稼働中の金鉱山があり地質や岩石のことなど従業員の方からたくさんのことを教えてもらった。これは陶器制作を仕事として始める上で貴重な体験だったと思う。
菅沼キャンプ村の当時のアルバイト管理人たちの姿がある。
2024/01/20
2024/01/17
2024/01/14
2024/01/13
2024/01/12
手当てを受けたヤマザクラの老木
昨日のことだが、たまたま出先からの帰り道でヤマザクラの古木の修復治療の痕の鮮やかな姿に出くわした。専門家の手で丁寧になされていることが素人の私が見てもよく解る。年ごとに弱ってゆくのが痛々しかったので嬉しい限りだ。再び枝を伸ばしてたくさんの花を着ける日を待ちたい。
隣町の栃木県茂木町小山にあるヤマザクラ。2020年4月4日の私のブログを開いて見ていただきたい。
2024/01/11
茨城弁
時々観る朝のNHKテレビの連続ドラマは敗戦直後のアメリカ進駐軍の施政下での笠置シヅ子の歌手生活が展開されている。その中に彼女の世話をする女中が強烈に田舎女に仕立て上げられていて、しゃべる言葉は北関東なまりが強い。笠置シヅ子の関西弁との違和感に興味が湧いているところだ。
「道の駅みわ」に馬刺しと朝鮮漬けを買いに行く。少し遠方だが味わい深いこれらはここでしか買えない。私にはいい販売所だ。場所は茨城県常陸大宮市鷲子(とりのこ)272。旧美和村で栃木県那珂川市がすぐの山村で林業の盛んなところ。
そこに地元の人が日ごろの会話でしゃべる方言の一覧表があった。思いつくまま書きとどめたもののようで編集されていない不愛想さが荒々しい言葉に合っている。
近くにはこんなかわいい公民館があった。
山を越えると那須野が広がる。日光から那須までの雪の連山を眺めて帰った。那須野は寒かった。
2024/01/10
2024/01/09
2024/01/06
まだまだ続く初窯市
ことしの会期は一週間。
暖かい日ばかりで店番はとても快適。きょうなどは春は桜の咲く頃の気温で寒さが嫌いな私には快適ではあるが、異様な気温でこれからどんな一年になるのか不安がある。
それはともかくとして今回のイベントはまだまだ続きます。どうぞお越しを。
第25回彩初窯市(いろどりはつがまいち)
会期 2024年1月2日(火)~8日(月) 10時~16時 最終日8日は15時まで
会場 笠間工芸の丘特設会場 お問い合わせは笠間工芸の丘Tel.0296-70-1313
ブースは22番です。
2024/01/05
2024/01/04
2024/01/03
少し日の長さを感じる帰り道
第25回彩初窯市(いろどりはつがまいち)
会期 2024年1月2日(火)~8日(月) 10時~16時 最終日8日は15時まで
会場 笠間工芸の丘特設会場 お問い合わせは笠間工芸の丘Tel.0296-70-1313
この時にしかお会いできないお客様も多い。その間のことのお話しをする。私のことよりお聞きすることが多い。
お互いに元気でいることに意味があることを確かめる日だと思う。
きょうはわが生地徳島県神山町にサテライトオフィスを持っている方の来訪を受けた。いい方向に変貌してゆく山村の現状のお話が聞けた。
少しだが夕方が長くなったの感じる帰り道。午後4時過ぎに盆地の地形上西方の山に沈む夕陽。
きょうの夕方は大きな天災と人災はなかったようだ。
2024/01/02
第25回彩初窯市初日
第25回彩初窯市(いろどりはつがまいち)
会期 2024年1月2日(火)~8日(月) 10時~16時 最終日8日は15時まで
会場 笠間工芸の丘特設会場 お問い合わせは笠間工芸の丘Tel.0296-70-1313
新井倫彦~風の窯~のブースは22番です。
朝、新潟県在住の旧友に昨夕の大地震への安否を確認のために電話をする。被害もないようで一安心。それから会場に店番のために行く。
寒い曇り空で午後には時雨というのだろうか雨が降る。お客様はわが窯には初めての方ばかりであったがたくさんの方を迎えできた。
午後4時、雨のあがった帰り道はきれいな夕空となっていた。
帰り着くと神戸在住の親族から灘の酒が届いていた。これであすも頑張れそうだと思いながら震災の報道を見ていたら羽田空港で航空機どうしの衝突事故が飛び込んできた。大きな自然災害と大きな事故で2024年は正月気分はぶっ飛んだ出足となった。
でも、私は酒を呑んだ2024年1月2日。
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